音大時代のボクは浮いた存在だったと思う
<ゆうちゃん>と話していて感じるのは、彼が俯瞰的な視点で物を見ているということだ。自分 自身を常に客観視する。それはクールといった表現とは少し違う、むしろ彼の中にある真面目さに根ざしているように思える。そんな彼は自身の大学・大学院生活を自虐的にこんな風に表現する。『浮いてたんじゃないかな』と。
「もちろんピアノは好きだし上手くなりたい。でも先生方が言うように『頑張って コンクールに挑戦してトップを目指しなさい』って言うことに盲目的に従うことは できませんでした。だって自分と同世代の天才的に上手い人、コンクールでトップ に立つ人でもピアノで食べていくのが難しいのが実情。『クラシックの世界はそう言うものだ』って言われる方もいるかもしれませんが、ボクはそこに納得できないでいたんですね。ただ誤解してほしくないのは、ピュアに音楽と向き合う人を馬鹿 にしてたわけではありません。ただボクは大好きなピアノで人を喜ばせて、それが ビジネスにつながる生き方ってがあるんじゃないか。これまでの音楽の王道とは違 う生き方で大好きなピアノを生かせるんじゃないかって思っていたんです。だけどそんなことを考えている人はほとんど周りにはいない。同級生からしたらボクは 『醒めているヤツ』『変わったヤツ』だったろうし、それは先生も同じだったでしょう。とにかく学生時代の自分は『周囲から浮いている存在』だったと思います」
とはいえ<ゆうちゃん>が音楽の王道の歩みに全て抗っていたわけではない。在学時に参加したコンテストには必死に取り組んでいたし、先生方からはその才能を見込んで『今からでも遅くないから頑張れ』という言葉ももらっていた。だが<ゆうちゃん>は好きな音楽に真正面から向き合えば向き合うほど、そんな王道の世界に自身の将来を描くことができなくなっていったという。
「ピアノを教えたりバイトをしながら時に演奏会のようなことを持ち出しでやる。 それも一つの生き方なのかもしれません。けれどそれって『どこまで続けていける んだろうか?』って思っていました。そんなボクがピアノを続けるために必要だと考えていたのは、ピアノを通じたアウトプットを労働ではなく資産にしなくちゃいけないということです。自分の時間を切り売りして単純に対価としてのお金を得るのではなく、自身のピアノによって生み出したものを資産という価値に変える。それは従来のやり方だったらコンサートやCDといったものになるわけですが、なんども言っているようにそれが成り立つのは一部の限られた人です。そこを目指して夢に向かって頑張り続けるというのはストーリーとしては美しいかもしれませんが、 実際は多くの人が夢破れ、って形になってしまう。同じように労働ではなく資産にするのに、違ったアプローチはないのか、そんなときに周りにあったのがインターネットでありSNSでした」