人前で聴かせる音
── 加古さんとのレッスンは谷川さんにどんな影響を与えましたか?
週一回のレッスンは約5年間続きましたが、最初の4年間くらいは純粋培養というと極端かもしれないけれど、音楽に関しては他のものに影響されないよう加古さんの世界と自分のつくるものだけに集中するようにしていました。ともすれば、あれもこれも吸収して、多様な技術を習得した上で自分のスタイルをつくりましょう・・・的な誘惑があるわけですが、先生からは、むしろそぎ落としの美学を教わったのだと思います。レッスンは《1言って10教える》という印象で、毎回が刺激的な至福の時間でしたから、あまりいろいろなものは必要なかったんです。私自身、主なインスピレーションはヴィジュアル・イメージでやってくることが多かったので、こと音楽に関してはストイックに断食する方が良い気がしていました。一方、ダンス・演劇など舞台芸術全般や、ヴィジュアルアートには心を開いて前衛から商業的なものまで観るようにしていましたし、いわゆるカタカナ職業の仲間との情報交換は刺激的でした。 そうして4年が過ぎた頃に加古さんから「そろそろ何でも良いから演奏の仕事をしてみたらどうだろう」と言われました。
デビューコンサートのリハーサル
デビューコンサートで加古さんと
── そこにはどういう意図があったのでしょうか。
「プロとして人前で演奏するピアノ」ということだと思いました。上手い下手という演奏技術以外に人前で奏でる、何かを伝えようとするピアノの表現がある、と。それは篭って練習するだけでは得られない、人前で演奏するという経験でしか身につかない、本番でしか味わえない感覚だったんですね。加古さんのそんなアドバイスから、よし、ピアノを弾く仕事をしよう!と決心したわけです。タイミングよく、ご縁のあったタンゴ・ピアニストの小松真知子さん(バンドネオンの小松亮太さんのお母様です)の紹介でホテルやバーラウンジなどでの演奏の仕事を始めることになりましたが、例によって突然のことだったので、そういう仕事のための準備もなく、なんと1001(ってわかりますか?)やポピュラー大全集などの譜面ばかりか衣装のロングドレスにいたるまで、すべて真知子さんが貸してくださって!なんという有難いことでしょう、ご恩は一生忘れません。その仕事を一ヶ月無事やり終えての最初のレッスンの時だったと思いますが、加古さんの前でいつものようにオリジナルを弾くと、「う〜ん、ピアノが変わったね」「人に聞かせるピアノになったね、だけどこんなに変わるのか・・・!」と、先生自身もすごく驚いていたのを今でも覚えています。
── お金をもらって人前で演奏する、いわゆるプロの道を歩み始めたわけですが、ラウンジで演奏したりする場合、ジャズスタンダードや多くの人が知っているポピュラー音楽だったりするじゃないですか。失礼かもしれませんが、そういう曲を普通に演奏する谷川さんというのはちょっと想像しにくいのですが。
そうは言っても原点回帰でもあります。だって、子供のころから耳にした曲を好き勝手にアレンジするのは得意だったんですから。スタイルを特定されない限りは大丈夫ですよ(笑)。ただこうした仕事の現場でも「そういう場所でたまにオリジナルも演ってみればいいじゃない」という加古さんの提案もありましたから、セットリストに巧みに加えるようになりました。場の雰囲気を心地よくする柔らかい演奏ではないので、クビになるまでは聴かせる気迫のこもった私テイストのものを平気で演っていました。札幌の老舗ホテルのバーラウンジで演奏していた時にも、何曲かオリジナルを交えたんです。するとこれが功を奏して「いい曲だね、他にもオリジナルあるの?」と現地の音楽通の耳にとまり、デモテープを聴いてもらい、「札幌ブレーンで札幌発信のアルバム作ろう!」と盛り上がり、芸術の森の創作ロッジに泊まり込みで、同じく芸術の森アートホールでのレコーディングと相成りました。つまり私の1stアルバム「AIRE(アイレ)」はラウンジでのオリジナル曲演奏がきっかけとなって生まれたんです。
AIREのジャケット写真より
AIREのコンサートでソロ
谷川公子
ピアニスト/作曲家/プロデューサー
加古隆(作曲家・ピアニスト)の唯一の弟子として独特な指導を受ける。映像的で壮大な楽曲からピアノやギターの小品まで、その美しいメロディーラインと透明感のあるアンサンブルによる作品群は高く評価されている。公私ともにパートナーであるギタリスト渡辺香津美とのユニットCastle In The Airとしても活動中。最新作はキャリア初となるピアノソロ作品集「はじめてのピアノレッスン」(gracim records)。
www.kokotanikawa.net